〇ラチョフの絵の想像的リアリティ・・・松居直氏による考察
ラチョフ画のウクライナ民話『てぶくろ』は、現実的に考えれば、厳冬の森にあのよ
うな動物たちがいるはずはないし、おじいさんの落とした手袋にネズミ、カエル、ウ
サギ、キツネ、オオカミ、イノシシ、クマなど7匹もの動物が一緒に入れるはずもな
いと言えるでしょう。
しかし松居氏は、ラチョフの絵がそれを嘘だと思わせない魔術、つまり想像的なリア
リティを施しているのだと『絵本をみる眼』(日本エディタ―スクール出版部)で
論考しています。
まず文章で冬とは書かれていない状況設定を、画家ラチョフが大雪の降る厳寒の冬
にし、動物たちが肩寄せ合って手袋に入ることに不自然でない条件を施したのだと。
また、最初は手袋だったのに、一匹ずつ動物が入る度に、窓やベランダ、煙突や床下
などが描き加えられ、「手袋という形の住居」になっていったので、読者のイメージ
も変えられたのだろうということです。つまり一人残らず、皆が入れる暖かい隠れ家
になったわけです。
〇ラチョフが昔話の動物に衣装を着せた効果
もう一つ忘れてはならないのは、登場する動物たちにラチョフが、意図的に衣装を着
せ、擬人性を加えたことで、この絵本が昔話としての風刺とリアリティを獲得したこ
とでしょう。
動物画家ラチョフが動物に衣服を着せることになったいきさつは「カスチョ―ㇽ」
第11号「私が画家になったわけ」に書かれています。
ここでエヴゲーニイ・ミハイロヴィッチ・ラチョフ氏(1906~1997)の経歴をたどる
と、彼は父親を早く亡くしたために、歯科医だった母親とも離れ、ユージノの祖母
の元で育ちました。そこはシベリアの野生の動植物に囲まれたところです。
内戦のあった14歳の時、母親の元へ帰りましたが、ラチョフの病気静養中、描画好
きを見抜いた義父から、油絵の具をプレゼントされました。それがきっかけになって、
18歳でクバン美術師範学校へ入学。その後、キエフ芸術大学デザイン学部へも進学
し、在学中に児童書の挿し絵を描き始めたのです。優れた画家の動物挿し絵の影響
で、動物をモチーフにした絵を描くようになりました。
ラチョフはシベリアの大自然の中で育ったせいか、動物は身近な存在でしたし、よく
動物園や自然公園へ、生きた動物の写生をしに行ったようです。
衣服を着た動物画を描き始めたのは、動物昔話の仕事をするようになった、41歳以降
のこと。
「昔話の動物は、森に住んでいる動物と全く違っています。昔話の動物は人間を表し
ており、この意味で、寓話を思い起こさせます。このことを表現するために私は昔話
の動物に服を着せたのです。・・・服を着たとたんに動物はある社会的な存在になり
ました。」と彼は書いています。
ラチョフが動物に衣服を着せた絵を描いた時、出版所は、スターリン体制への批判と
疑われることを恐れ、服を着ない動物を描くように勧めましたが、彼は失職しても
意志を曲げませんでした。そして官僚や芸術家たちによる8か月間もの協議の末、
ようやく彼の画風どおりの昔話絵本が出版されたのです。
しかし、ラチョフは、動物たちに擬人性を持たせても、大自然や動物に対する敬意を
失わず、品位ある動物の姿を表現する動物画家であったと、田中友子氏がロシア児童
文学・文化研究誌「カスチョ―ㇽ」21号で書いています。
『てぶくろ』の動物たちの姿を見ても、それはわかりますね。どんなに小さくても大
きくても、どんな衣服を着ていても、ネズミはネズミ本来の、クマはそのクマならで
はの尊厳を持ち、動物としての魅力的な姿で表現されています。
〇ラチョフの絵の民族性・・・『てぶくろ』に見るウクライナの民族衣装
田中氏が、前述の「カスチョ―ㇽ」21号に著した論考によれば、ラチョフは、ロシア
の昔話では動物にロシアの民族衣装を着せ、ウクライナの昔話ではウクライナの民族
衣装を着せて、それぞれの民族色を大事に表現したそうです。また農民のボロ外套や
貴族の裾の長い外套などを着せ、動物昔話の本質である風刺を加えたとのこと。
では、この絵本で動物たちの着ているウクライナの民族衣装を見てみましょう。
<ぴょんぴょんがえる>
<おしゃれぎつね>
<はいいろおおかみ>
<きばもちいのしし>