むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ふたりは花に囲まれた家で暮らしていたのですが、どこか寂しくてしあわせではあり
ませんでした。
ある日、おばあさんが「うちにもねこが一匹いたらねえ」とため息をついたのです。
するとおじいさんが、「それなら、ねこを一匹とってきてやろう」と探しに出かけま
した。どこまでも歩いて行くと、ネコで埋まっている丘に着いたのです。
100匹、1000匹、100万、1億、1兆匹もいるでしょうか。
おじいさんは“ああ、よかった!この中から一番きれいなネコを選んで連れて帰れば
いい”と思いました。ところがどれも可愛くて選べません。そこで結局全部連れて帰
ることにしたのです。
しかし大行列が家に着くと、おばあさんは「わたしが欲しいのは一匹よ。こんなに
たくさんいたら、ごはんもやれないし、わたしたちが貧乏になって困るだけ」と言い
ました。
おじいさんはそこまで思い至らなかったので、おばあさんが考え、「どのネコを家に
置くかは、ネコに決めさせましょう」ということになりました。そこでおじいさん
が「一番きれいなのは、どのネコ?」と聞くと、「ぼくが!」「わたしが!」とネコ
たちは自分が一番きれいだと言い張り、すさまじいけんかになったのです。その場面
の絵のおもしろいこと!
しかし、けんかの嫌いな老夫婦が家の中に退散し、騒ぎがおさまった頃、外へ出てみ
ると、何とネコは一匹もいませんでした。「きっとみんなで食べっこしてしまったの
ですよ」とおばあさんは言いました。
ところが実はネコが一匹だけ生き残っていたのです。さあ、どんなに強いネコだった
のでしょうか。
意外なフィナーレは是非絵本でご覧ください。
この絵本では大人が味わえるようなブラックユーモア、年齢を問わずに楽しめる逆
転劇とハッピーエンドが、お話の神髄を心ゆくまで味わわせてくれます。
ネコの大移動が起こりますが、いくら選べないといっても、100万匹のネコを連れ帰る
おじいさんの無責任さが物語らしくて、超現実的。
ところが現実的で判断力に長けたおばあさんの名案とおじいさんの妙な発言が、ネコ
のすさまじいけんかを引き起こし、最後に一匹だけが生き残ったのです。
痩せこけてみすぼらしいネコでした。
なぜ騒動に巻き込まれなかったのかというと、他のネコたちが“我こそ一番きれい
なネコだ”と争ったのに、“自分はただのみっともないネコにすぎない”と参戦しな
かったからです。
そこでおじいさんとおばあさんは、生き残ったそのみすぼらしいネコをだいじに育て
ました。すると・・・。
本書を読み語ると、ネコの争いの場面を笑う子どもが大勢いるだけあって、絵と言葉
の表現のおもしろさは絶品です。
たとえ本文に、ネコたちの「食べっこ(共食い)」という言葉があっても、沢山のネコ
が手品のように一瞬にして消えてしまっても、どこか陽気に感じられるのは、ワンダさ
んの文と絵に独特なユーモア、まさにワンダ・マジックがあるからでしょう。
『100まんびきのねこ』は絵本ですので、ネコたちのけんかの様子が絵でも表現でき、
最も弱い者が生き残る感動的な逆転劇に仕立てられたとも考えられます。そのために
は自分の劣性を認め、最初からけんかに参戦しない姿勢が重要なこともメッセージ
として伝えられるでしょう。
本書では、老夫婦が最もみすぼらしいネコに愛情を注ぎ、協力し合って世話をするの
ですが、ネコと共に彼らが再びしあわせになり、ハッピーエンドを迎えるのも大きな
魅力です。絵本のフィナーレは“すべて世は事もなし”という平安に満ち、読者の皆
さんに深い感慨を与えてくれるでしょう。