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絵本「やっぱりおおかみ」のあらすじや随想

 この絵本について―自分を引き受けるということ
                                                     

文・絵:佐々木マキ
 
出版社:福音館書店

出版社の対象とするの読者年齢 読んであげるなら:3歳~
                 自分で読むなら:小学校初級~

出版年月日:1973年10月1日

定価:990円(本体900円)
           
                         
 はじめに


   本書は佐々木マキさんの処女作ですが、ロングセラーでもあります。

   それほど子どもから大人まで、多くの読者を魅了してきましたので、長年この絵本を

   愛読してきたファンも大勢いらっしゃることでしょう。

   特に主人公が結末で言うセリフは、どれほど多くの皆さんを安心させられるでしょ

   うか。私もエネルギーをもらい続けてきたひとりです。

   佐々木さんの絵本は、ほかに当ブログでも101『ぶたのたね』、108『まじょのかんづ

   め』、144『ムッシュ・ムニエルをごしょうかいします』などをご紹介しています。

   
 あらすじと随想


   主人公は、一匹だけ生き残った子どものおおかみです。

   孤独な彼は毎日、仲間を捜してうろついていました。
 
   ある日、うさぎの町へ行くと、うさぎたちは皆、おおかみを避けます。

   おおかみは「け」と言って、さらにやぎの修道士のいる教会やぶたの町へも行ってみ
 
   ました。しかし、どこにもおおかみはいません。“仲間がいるっていいな。にぎやか
 
   で楽しそうだ”とうらやましくなり、近づいていくと、皆、離れていくのです。その
   
   度におおかみは、「け」と言いました。

   さらに「おれに似た子はいないかな」と街々を歩き、遊園地にも行ってみましたが、
     
   おおかみに気づいたのはお月さまだけ。
   
   夜、明るい窓から、食卓を囲んでいる牛の家族が見えると、余計にさびしくなりま
 
   した。
 
   とうとうおおかみは、墓場へ行き、たくさんの墓石の間に寝ころんだのです。

   “どこにもおれに似た子はいないんだ”
                       
   そこには、おばけがいるのですが、おおかみには見えませんでした。本当は、おば

   けにも大勢の仲間がいたのです。

   

   朝、大きなビルの屋上へ登ると、赤い気球が待っていました。

   おおかみは気球に乗ることもできたのでしょうが、乗りませんでした。
   
   「やっぱり おれは おおかみだもんな。おおかみとして いきるしかないよ」
   
   おおかみは、気球がどんどん小さくなりつつ遠くへ飛んでいくのを見て、「け」と

   言ったのです。

   その時、どんな気持ちだったのでしょうか。

   ほっとするフィナーレは是非絵本でご覧ください。
 
   
  

 随想とまとめ


   この作品は、佐々木マキさんがマンガ雑誌「ガロ」に発表したオオカミのキャラク

   ターから始まっているそうです。残念ながら、私はその作品を拝読していませんが、

   本書は絵本としての処女作であり、主人公の「け」というセリフが読者の子どもたち 

   に受け容れられるのかどうか、懸念されつつの出発だったそうです。

   

   この「け」という詞は、どんな意味を持っているのでしょうか。

   本書『やっぱりおおかみ』が福音館書店から初めて出版された時の折り込みに、佐々

   木さんはこんなことを書いているのです。

   「高校でぼくは演劇部員でしたが、右隣りの文芸部の藤村的感傷や太宰的あまったれ

   趣味を鼻の先で笑って、左隣りの新聞部の左翼的悲慣コウガイぶりをコッケイなもの

   と感じておりました。ぼくたちは、乾いたもの、狂ったもの、ファンタスティックなも

   の、すばらしくバカバカしいもの、つまり超現実的でナンセンスなものにひかれてい
   
   ました」
 
   そして、マンガを描くときにも、そのような乾いた少年たちを対象として描きたい向

   きがあったそうです。しかし、本書は幼い子にも受け容れられてきました。

   「け」という詞は、仲間を探そうとしても誰からも相手にされないときの、捨てぜ 

   りふに思えないこともありませんが、逆にさびしい自分の感情に吞み込まれるこ 

   となく、キリをつけて前に進もうとするときの擬音とも思えます。ですから幼児にとっ

   ても抵抗がないのではないでしょうか。
   
   佐々木マキさんは、福音館の「ふくふく本棚」第11回で故・長谷川攝子さんと『やっ

   ぱりオオカミ』について対談をされています。 

   https://www.fukuinkan.co.jp/blog/detail/?id=19 
  
   https://www.fukuinkan.co.jp/blog/detail/?id=20 

   その中で、佐々木さんが目指した絵本の作風のひとつに、「乾いていること」が挙げら

   れています。

   つまり感傷的、情緒的なものより、ユーモアや次の行動に転化しやすい発想の転換に
  
   重きが置かれているのではないでしょうか。
              
   

   もうひとつ、この作品の絵がおもしろいのは、おおかみの目や顔の表情が見え
   
   ないことです。

   遊園地のメリーゴーランドの木馬や、墓場のおばけの絵にさえ目が描かれているの

   に、おおかみには目がありません。「目は心の窓」といわれるほどに、感情表現の要

   でありましょうし、その登場人物の気持ちを表現するものでしょう。

   しかし長谷川攝子さんとの対談の中でも言われているように、もしかすると「ぼく

   は、自分がかく主人公がカッコをつけすぎたりしてくると、テレくさくて、無意識

   に、それと正反対のクールなものを出してきて、まぜっ返して、バランスをとろうと 

   したりするんですよね。」という深層心理が作者には、あるのかもしれません。 

   一方、読者としては、おおかみがどこにいても影のように黒く、顔の表情がわからな

   いので、言葉と行動からおおかみの思いを読み取ることになります。 

   黒一色で表情も見えないのに、絶妙な存在感があって魅力的な一匹狼。 

   フィナーレのおおかみが特にすばらしくかっこいいのです。せっかく遠くまで自由に 

   行ける気球があるのに、乗りもせず、「やっぱり おれは おおかみだもんな おお

   かみとしていきるしかないよ」と言います。そのあと、“なんだか不思議にゆかいな

   きもちになってきた”と、胸中を語るのですが、もしかすると、それは誰にもあて

   はまることなのかもしれないと思います。

   生きているかぎり、よほどの事情があっても、誰もが自分という存在から逃げだ

   すわけにはいきません。

   自分として生きるということは、二人といない、かけがえのない自分を、自分自

   身で引き受けることなのだろうと妙に納得できます。それが自己受容というもの

   なのかもしれません。このおおかみはユーモアを含みつつ、真理を説いてくれる

   存在ですし、『やっぱりおおかみ』というこの作品は、このうえなく愛すべき絵本

   に思えます。

   

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