この作品が面白いのは、発言力が、動物の体の大きさに反比例しているところでしょ
う。
一番体の小さいねずみが、ウーフを「だんな」と呼びつつ、くまの子のどんぐりを全部
自分のものにして、「ありがとさん」ともらっていったのです。
そのうえ、せっかく見つけたウーフのたからものの赤いボタンまで、ねずみの乳母車
の部品になっていました。
しかし、ウーフもミミも、小さなねずみの子どもたちを最優先にしたのです。
とうちゃんねずみは、お礼の気持ちでどんぐりを提供しますが、そのようなお互いの
譲り合いが読者にぬくもりを与えてくれます。ウーフも我慢して耐えるのではなく、
きちんと言い返すので、読者にフラストレーションは残りません。
うさぎもウーフの家で一日中遊べたのは楽しかったことでしょう。
たからものというのは物質だけではなく、楽しく過ごした時間もたからものになるに
ちがいありません
私も最近たからものを見つけました。
実家が売却されることになり、もしかしたらタンス預金でも見つかるかもしれな
いと下世話な気持ちで、亡き祖母のタンスを調べたのです。
するとタンスの引き出しの隅っこにあったのは、お金ではなく、私の幼稚園時代の小
さな園バッジでした。一歳半で生母が亡くなってから、片時も祖母から離れたことの
なかった私が、大泣きして祖母分離を果たした幼稚園時代。祖母が私をせかさずに
ずっと見守っていてくれた思い出のバッジです。65年も前に私が付けていた園バッジ
を捨てずにタンスの奥にしまっておいてくれた、祖母の愛情にただ感謝しました。
実家が取り壊される寸前に、亡き祖母の思いに新たに気づけたところに、神さまの
御愛も実感しました。
時に適って、モノに込められた人の思いが読み解かれるとき、それが「たからもの」
になるのだと改めて感じるこの頃です。
桜台幼稚園時代のバッジ