小さなもののための祈りは、こんなふうに始まります。
「かみさま、どうぞ ちいさなものたちを おまもりください。まだ はねのはえて
いないひなたちを。おおきくなって つばさをひろげ おおぞらを おもいのままに
とべるまで。」
小さなものとは、森の下草の陰にいる小さな種。ビーズのような小さな雨粒。そして、
生まれたばかりでめえめえと鳴いている羊やよろけながら立ち上がる小さな子馬。夜
眠る前にひざまずいて神さまに祈る幼い子どもたちなど。
私の生家にはクリスチャンはいませんでしたが、神さまとお話しする祈りの時を知っ
たのは、キリスト教保育の幼稚園でした。
当時歌った子ども賛美歌に、こんな歌詞があります。
「かみさまは野辺のこすずめまで おやさしく いつも 愛したもう 小さいものを
もお恵みある かみさま わたしを愛したもう」
この賛美歌を歌うたびに、小さな子すずめにさえいつも目を留めておられる優しい神
さまが、私のこともいつも忘れずにいてくださるという歌詞が心にしみたものでした。
おとなになっても、相変わらず小さな自分であることは変わりませんが、さらに小さ
な存在のために天に向かって祈ることを迫られる場合もあります。
たとえば傷を負った野良猫のために。
2013年の秋から2019年まで、地域猫として登録されている4匹の猫の保護をすること
になりました。それ以前、猫たちを保護していた向かいのお宅が急に引っ越すことに
なったからです。
しかしわが家でも、屋内で飼うことはできないので、猫の額ほどの庭にペット用のケー
ジを4個おき、その猫アパートに住んでもらうことにしました。
上の画像のように、4匹のうちいちばん若いのがクロ、次がボスです。
ボスは、身体は大きいのですが、他の猫が近づくと、自分が餌を食べている最中でも、
餌を譲るという癖がありました。それは彼にとっては大きなストレスなのかもしれま
せん。いつも自分のおなかや足の毛を噛み取り、生傷が絶えませんでした。
ボスを捕獲して動物病院へ連れて行きたいと思っても、猫の都合もあり、なかなか連
れては行けなかったのです。
ところが、涙ぐましいことに、一緒に日向ぼっこをする仲良しのクロが、誰に教わる
でもなく、ボスの傷をなめてやっていました。
猫の傷が癒やされるようにと、心を天に向けて祈っていたつもりでも、猫たちを通し
て心癒やされていたのは、私の方だったのでしょう。
この絵本では最後に、おとなも含めたすべての人のためのお祈りに励まされます。
「どうぞ よるねるまえに ひざまずいて あなたにおいのりする こどもたちをお
まもりください。このちいさないのりを どうぞ おこころにとめてください。あなた
のおまもりをねがう おおきなものたちの いのりとおなじように」