本書は、島根県江津市出身の童画家・佐々木恵未さんの追悼画集です。
絵本の挿絵70余点、山陰中央新報で連載した「あったか家族」「いわみ談話室」の一
部、未完の遺作大元神楽を題材とした絵本ラフ画などが収録されています。
佐々木さんは2014年59歳の時に病で他界され、今年、七回忌を迎えました。
私は、あのほがらかな佐々木さんが亡くなったとは今でも信じられず、天で絵を描き
続けておられるにちがいないと思っています。
彼女も、ブログに書いています。
「記憶という宝物は決して色あせません。そう思ったら、思わずニッコリ笑ってし
まった私です」。
佐々木さんは、「学研おはなしえほん」1987年出版時、「はるかぜさーん!」という
私の創作童話に、絵を描いてくださった画家さんでした。
この絵本はすでに絶版になっていますが、北風や春風などの目に見えない登場人物
が、佐々木さんの豊かな想像力と、美しい色彩で擬人化され、目を見張るばかりで
した。観る人の心に楽しさと潤いをもたらしてくれるのが、佐々木さんの画風だと
思います。
かつて、佐々木さんの絵に登場する、いたずらっこやお茶目さんは、伸びやかで天真
爛漫な彼女の心を投影しているように、思えたものです。
しかし、ただ天真爛漫だったわけではありませんでした。
追悼画集103ページに、しかけえほん『ねむりひめ』の作品について質問した小学生
に、佐々木さんが答えた貴重なエピソードが記されています。
そのしかけ絵本の中で、最初、意地悪だった魔女を最後の場面で、もう一度登場させ
た理由は、「ねむりひめ」の結婚を祝福し感涙する、この魔女の姿を描きたかったか
らだと、明かされたのです。
意地悪な人を最後まで意地悪なままで終わらせない。本当はその人も良い人なのだと
いう温かな視点。
「やさしく あったかく みんな大好き」という人間観を持っておられた佐々木さん
は、ご自身が温かいお人柄でした。
佐々木さんの絵が放つぬくもりは、生来のほがらかさと共に、ご家族や周囲の方の
愛情の中で育まれたように思います。そしてご自身も大の家族想い、友だち想いで
した。
彼女は、小学生時代に最愛のお兄さんを病で亡くされています。
その喪失感が深かったために、ご両親は息子さんにまつわる思い出の品をすべて、目
に触れないようになさり、思い出話も一切しなかったと伺いました。
お兄さんは、非常に絵が上手なお子さんだったので、佐々木さんも、幼い時から、そ
ばでよく一緒に絵を描いて過ごしたようでした。
しかしお兄さん亡き後、佐々木さんはお兄さんの分もご両親への気遣いをして過ごさ
れたと思います。
彼女は、明け方に就寝するタイプ。朝起きが苦手だったので、大学生の時、卒業に必
要な必修科目をひとつ落としてしまったことがありました。その時、脳裏をよぎった
のは、早く島根に帰って親孝行したい、ということだったようです。
ところが、お父さまが東京の佐々木さんの許へ島根から駆けつけ、言葉少なに「履修
できなかった科目を再履修して、卒業するようにしたらどうだろうか」と勧められた
そうです。
上からガミガミと子どもを責め立てるようなことは一度もなかったお父さまでした。
そこで佐々木さんは、一年間、アルバイトをしながら一科目の履修に励み、同時に時
間を活用して、日本デザイン専門学校に通い、以前から好きだった絵を学ばれまし
た。その学校で、恩師有賀忍先生との出会いに恵まれ、ご指導を受けることもできた
そうです。
やがて絵の天分は開花し、数々の賞を受賞。画家として、大好きな絵の仕事をされる
ようになりました。自分は本当に幸せものだと、佐々木さんはよく話されていまし
た。
彼女は、留年という時間をチャンスとして生かし、多くの人を和ませる画家になられ
ました。それは本当に稀有なことだと思います。
佐々木さんらしい一途で明るい志の前に、道は開かれたのでしょう。
人生に対して常に肯定的な、心あたたまるブログやエッセイが、今でも「佐々木恵未
公式サイト」で公開されています。
佐々木恵未さんのたくさんの遺作は、生家が「恵未童画館」として改築され、ご親戚
の方に管理・展示されています。開館日時については、江津市観光協会℡0855-52-
0534(10時~17時)でお尋ねください。
現在、島根県江津市桜江町の今井美術館で「佐々木恵未展 ~さくら舞う頃 あなたに
逢いたくて~ 」が開催されています。(2020年4月26日まで開催予定)
時節柄、心ゆらぐこの頃ですが、やさしくあったかく心癒やされる個展ですので、お
近くにおいでの方はご来館いただけたらと思います。