「とんとん むかしが あったそうだ。
むかし うんと よくばりのおとこが ひとりで すんでいたそうだ」と始まるこの
絵本。再話者稲田さんの文体には、語りのリズムがあり、何度でも繰り返して味わっ
てみたい心地良さがあります。
擬音の鮮烈さも、昔話のイメージを豊かにかきたてます。
さて、主人公の男は山仕事に行き「おらも にょうぼうがほしいなあ。よっく はたら
いて めしを くわない にょうぼうが ほしいもんだ」とつぶやきました。
すると、家に帰る途中、ぴた ぴた ぴたと後からついてきたのは、ひとりのおなご。
この美しく妖しい女は、欲深な男の心を見透かし、自分は飯を食わないおなごだ、
ちょっとも食わないで、うんと働くからあんたの女房にしてくんろと、頼みました。
そこで男は、食いぶちがかからないうえによく働くはずの美しい女を喜んで女房に
し、今に倉に入りきれないほど米がたまるぞと、自分勝手な将来をほくほくと夢みた
のです。
「人を食ったような」という表現がありますが、この欲深な主人公の方にも、図々し
く人を食ったようなところがあったのではないでしょうか。
ところが、食べないはずの女房が、実は頭に隠した口で、大飯を食らう女房であるこ
とが判明します。
そのうえ、大食らいの女房を追い出そうとした男に対して、見たな、このやろう、お
まえも食ってやる!と、でっかい鬼ばばの正体を現し、反撃を開始したのです。
男を風呂桶の中に放り込み、餌食として鬼の村に持ち帰ろうとしました。
「しっとり しっとり おもたいわい しっとり しっとり おもたいわい」
と男を運ぶ鬼ばばの恐いこと!
彼は途中で逃げ出しますが、逃げる男を追う鬼ばばの恐ろしさは、画家赤羽末吉さん
ならではの、優れて鬼気迫る描写です。
ところで、最後に男を救ったのは、山野草の菖蒲とよもぎでした。
菖蒲の葉は、形状が刀のようにとがっていますし、虫がつきにくいといわれます。よ
もぎも薬草であり、草餅などにして端午の節句に食べる風習がありました。
つまり人の健康を守る山野草の恵みが、男の命を魔物の厄害からも守ったといえるか
もしれません。
主人公がどのようにして助かったかは、是非、絵本でご覧ください。
本書のおしまいにある、「とっぴんしゃん」という表現を子どもたちはおもしろがり
ますが、これは「どっとはらい」と同じように昔話の結びの言葉である結句です。
本書の鬼ばばもそうですが、グリムの昔話「ヘンゼルとグレーテル」の魔女や、日本
の昔話「さんまいのおふだ」などの山んばは、ユング心理学でいう、母なるものの元
型「グレートマザー」のマイナス面を表すものともとらえられます。
グレートマザーの示す母なるものの性質は両義的であり、慈しみ育むという善母の一
面のみではありません。子どもや人を食べようとする、つまり支配して自立を阻み、
時に死に至らしめようとする悪母の面も併せ持つとされます。
魔女や山んばに襲われた時、主人公がどのようにして逃れ、あるいは立ち向かってい
くか、それが読者の子どもたちをおもしろがらせ、勇気づけるのではないでしょう