さて、アデルジャンジャンの町に一軒のパン屋がありました。
それが、町一番のおいしさで評判のマフィンおばさんのお店です。
お店を手伝っているのは、アノダッテという男の子でした。
ある晩、彼は、パン作りに大忙しのマフィンおばさんを手伝えるようになりたいと考
え、今までの見よう見まねでパンを作ってみることにしたのです。
地下のパン工房に行き、エプロンをきっちりしめた後、町の人みんなが食べられる分
量の粉を量り、そしてマフィンおばさん特性のおまじないの粉もたっぷりふりかけま
した。さらにジャムやほしぶどう、チョコレートなどおいしい材料を包み込んで、力
をこめてこねたのです。
ところが、かまどいっぱいに種を押し込んだ後、いつの間にか火の暖かさで
眠ってしまいました。
すると、「どっしーん」という大きな音!
焼けたパン種がかまどの扉を開け、地下室にどんどんふくれあがってきたのです。
さらに二階のマフィンおばさんの部屋、そして屋根裏部屋まで押し寄せました。
マフィンおばさんもアノダッテも驚いて、上へ上へと逃げました。
やがてふたりが屋根にはい出そうとした時、ようやくパン種は止まりました。
するとマフィンおばさんは、窓からはみ出した焼きたてのパンをちょっぴりつまん
で、すてきなことを言ったのです。
そのシンプルな言葉は、アノダッテをどんなに安心させたことでしょう。
是非絵本でご覧ください。
河本さんの絵の、自由闊達なアウトラインも明るい色彩も、お話の雰囲気にぴったり
です。
私事ですが、ある時期パンが食べられなくなったことで、パンのおいしさに気づいた
体験があります。
何度か舌ガンを患った時でした。
術後の食事は、最初、経管栄養による場合が多く、口から飲食できるようになって
も、初期は流動食ですので、パンを噛んで食べられるようになることに、憧れまし
た。ですから、トーストのちょっと固いパンが食べられるようになった時には、本当
にうれしかったものです。
そのような訳で、完治した今、朝、一枚のトーストパンに何もつけなくても、それが
食べられるだけでしあわせを感じます。
パンを焼く香ばしい香りに包まれた本書。
アノダッテの思いやりと共にパン種がふくらんで、思いがけないほど大きなパンにな
り、町中の人たちが分け合うよろこびも味わえます。
読者の皆さんのもとにも、きっとうれしい気持ちが届くことでしょう。