さて、都会の中心にあるガラスばりの水槽で育ったくじらのウェンズデーは、ガラス
越しに都会の景色を眺め、毎日をのんびりと過ごしていました。
ウェンズデーとは水曜日のこと。一週間の真ん中の曜日です。
くじらのウェンズデーも都会の真ん中の水槽に住んでいたのですが、友だちはいませ
んでした。
時々、水槽の外から一匹の犬がくじらをじっと見ていましたが、そのことには気づき
せんでした。
ところがある日、水槽から高くジャンプすると、遠くに、静かで穏やかですてきな
「ブルー」が見えたのです。
それ以来、ウェンズデーは「ブルー」の何とも言えない懐かしさにひかれ、それが見
たくて、時々高くジャンプしました。
しかし、観客はそうとは知らず、くじらのジャンプに大喜びしました。
そんなある日、「ブルー」のように青い瞳の女の子がウェンズデーの前に現われ、
「あなた、すてきね。・・・あなたのほんとのおうちは、ここじゃない。うみよ」と
話しかけてきたのです。
時々ウェンズデーを見ていたのは、彼女の犬だったことが絵からわかります。
しかしウェンズデーは、「ブルー」が海であり、「ほんとのおうち」であることを知
らなかったので、それからは「ほんとのおうち」や「うみ」はどこにあるのかと、思
い悩み始めました。
そして次第に元気を失っていったのです・・・。
本書の絵は、落ち着いたパステル調で都会の風景が描写され、「ブルー」に憧れる
ウェンズデーの切ない思いを包んでいます。
しかし、本当の居場所である「うみ」を知らないで生きてきたウェンズデーは、苦悩
の末、ただ懐かしい「ブルー」が見たくてたまらなくなり、勇気を出して高く高く
ジャンプしたのです。
すると、次の瞬間、自由な世界へと解き放たれました。
この場面にほどこされている紙の仕掛けは、絵本だからこそ実現できる、みごとなも
のです。
そして美しい「ブルー」に出会えたウェンズデーの、何とくじららしくダイナミック
でしなやかな泳ぎでしょうか。
絵本という二次元の紙面で、広く青く躍動的な海とくじらの世界を描写する表現のみ
ごとさ!
きっと読者のみなさんも深く感動し、カタルシス効果を得られることでしょう。
ところで、私たちの現在は、まだコロナ禍にありますので、ウェンズデーのような自
由を味わうには、しばらく時間がかかりそうです。
しかしどんなことがあっても、悲観にとらわれることはないと、ウェンズデーは教え
てくれます。
本書で、ウェンズデーがブルーを見るために、何度もジャンプにチャレンジしたり苦
悩したりしたのは、母なる海「ブルー」に会うためでした。
それは、意識的ではないにせよ、喜びに満ちた本来の居場所を見つけるためであり、
理不尽な束縛から解放されるための自由への希求でしょう。
「とんでごらん。ゆうきを だして。じぶんの ほんとの いばしょが わかるから」
という本書の言葉のとおり、私たちは、ウェンズデーから、きっと大きな勇気をもら
えるのではないでしょうか。
どのようにしてブルーに会えたのか、その感動の一瞬は、是非絵本でご覧ください。