本文は、関西弁です。
主人公の「ぼく」は、小学一年生。
おかあちゃんや先生に、いつも怒られている。
良かれと思ってやったことが誤解されたり、毎日、怒られてばっかり。
どないしたら怒られへんのやろ。
ぼくはほんまにわるい子なんやろか。
ほんまは「ええ子やねえ」とほめてもらいたいのに。
7月7日、ぼくは、小学校に入学してから教えてもらったひらがなで、七夕飾りの短
冊にお願いを書いた。
「おこだでませんように」と、ひらがな一つずつ、心をこめて書いた。
書き終わったのが、クラスで一番遅かったから、『また怒られる・・・』と思ったら、
先生はぼくの短冊を見て泣いていた。
そして、「・・おこってばっかりやったんやね。・・・ごめんね。
よう かけたねえ。ほんまに ええ おねがいやねえ。」と、ほめてくれた。
早速お願いが叶ったから、ぼくは驚いた。
その晩、おかあちゃんも・・。
本書で、七夕さまの短冊に書かれた主人公の本音の願いを見て、先生が涙する場面は
圧巻です。そしておかあちゃんの言葉も!
先生は言い訳をしたり、ごまかしたりせずに謝ってくれました。褒めてくれました。
七夕さまへの祈りが通じ、自分の願いを先生やおかあちゃんにもわかってもらえて、
ぼくはどんなにうれしかったことか!
主人公が本音の願いを祈りとして七夕さまの短冊に書いたことに、大きな意味がある
のでしょう。
祈りは天への語りかけであり、その人ならではの、やむにやまれぬ切実な願いでもあ
ります。
しかし人への直接的な働きかけではなく、謙虚に天に委ねるもの。
だからこそ、先生もお母さんも一層心を動かされたのではないでしょうか。
本書を読んで涙するお母さんは大勢いらっしゃいます。
本当はぼくが健気でやさしいことが絵本からわかるので、グッときます。
本書がアンガーマネージメントの役割を果たしてくれる場合も多いと聞きました。
しかし、子どもに謝った方が良いなぁと思っても、本書の先生のようには、なかなか
素直に謝れない時もあるでしょう。
どこか自分を責める気持ちがあると、却って「悪かった」とは素直に言えなくなるも
のかもしれません。
しかし、本書にはありのままの主人公の本音が表現されているので、子どもの正直な
思いを知ることができ、子どもたちの共感も得られます。
さらに、結末での先生やお母さんの、主人公へのあたたかな触れ合いから、大人の読
者の皆さんもエネルギーがもらえるのではないでしょうか。
ところで、私事ですが、小学生になった時、継母からきれいなカバーの日記帳を渡さ
れ、毎日、日記を書いて見せるように仰せつかりました。
ただでさえむずかしい義母・継娘の関係でしたので、見せて叱られるような内容には
したくないと思い、何とかほめられることを書こうと思いました。
無い知恵をしぼって、ほめられるように努力しました。
学校へ行く前に、忘れ物はないかと毎朝、ランドセルの中身を全部出してチェックし
たり、異母妹の習い事の送り迎えをしたりなど・・。
しかし、どれもやり過ぎて失敗し、「どうして、あなたは落ち着きがないの!?
要らないことばかり、やって!」と叱られてしまいました。
その時、継母から、もう日記は書かなくて良い。見せなくて良い!といわれ、肩の荷
が下りましたが、その後、すきな時にすきなことが書ける自由日記帳を画用紙で手づ
くりしてから、日記を書くのが楽しみになりました。
本書あとがきの「どうか私たち大人こそが、とらわれのない素直なまなざしをもち、
子どもたちの心の中にある祈りのような思いに気づくことができますように。」とい
う作者のあたたかな言葉が胸にしみます。
と同時に、大人も心の中にある祈りのような自らの思いに気づくことができるよう
に、祈りたい気がします。