さて、主人公の「ぼく」は、ある夏を田舎のおばあさんの家で過ごしました。
その家は天井が見上げるほど高いけれど、太陽光を取り入れた明るい陽射しの家では
ありません。
光の届かない天井には太い梁が渡り、暗がりに誰かが潜んでいるのではないかと思え
るほど、ひなびた匂いのするひんやりとした家でした。
おばあさんの周りにはいつも飼い猫たちがたむろしていました。
ある日、ぼくは梁の上の暗がりで、あるものを見てしまったのです。
怖くなっておばあさんに聞くと、「見たのかい。じゃあ、いるんだね」という答えが
返ってきました。
でも、「みなければ いないのと おんなじだ」とも言われました。
顔の表情のよくわからないおばあさんが、真意をはぐらかすかのように、のらりくら
りと受け答えをするのですから、それだけでも、場面ごとに読者の好奇心と恐怖心が
あおられます。
主人公が暗がりで見たものとは、いったい何だったのでしょうか。
暗い天井を見るのは怖いけれど、誰かがいる気配がするので、見ないではいられない
「ぼく」です。
そんな怖いもの見たさの好奇心は子どもの成長と共に芽生えるのでしょう。
子どもたちは、5~6歳になると喜怒哀楽などさまざまな感情体験のできる絵本や、
恐い昔話などを好むようになります。それらを身近なおとなに語ってもらったり読ん
でもらったりする安心感の中で、物語の世界を自分なりにイメージし、主人公に同一
化してじっくり感情体験をすることができるのです。昔話はどんなにこわいお話で
も、おおよそハッピーエンドに至る世界であることが、幼い子どもたちを安心させ、
大丈夫感覚を育んでくれます。
しかし、さらに成長すると、昔話のオオカミや魔女、鬼、怖い山んばなどの悪玉とは
違う、得体の知れない存在もこの世に存在すること、ハッピーエンドとは限らない世
界もあることを、怪談などを通して理解するようになるでしょう。
私にとっては、本書のおばあさんのひなびた家の暗がり、家の周りに茂る夏草や絶え
間なく聞こえてきそうな蝉しぐれなどが、子ども時代の夏を過ごした祖父母の家の思
い出と重なり、懐かしく思えます。
夜になると懐中電灯を持って従兄たちとお化けごっこをした記憶も蘇るのです。
本書は、暗がりの不気味さが鬼気迫るストーリィの怪談絵本です。
愛猫家の画家、町田尚子さんによって丁寧に描き分けられた13匹の猫の表情や仕草
も、作品の怖さをそこはかとなく引き出しているようです。同時におばあさんが猫た
ちに愛情を注いでいる場面に、ほっとします。