山のふもとのおでんの屋台「雪窓」には、時々ふしぎなお客がくるそうです。
今晩も、提灯が灯り店が開くと、厚いコートの少し風がわりなお客がやってきまし
た。彼は「三角のぷるぷるっとしたやつ」を注文し、美味しそうに食べました。それ
は、こんにゃくのこと。そのお客はたぬきでした。
やがて、たぬきは「雪窓」に通い詰め、親父さんを手伝う心強い助手になったので
す。時にはふたりで晩酌もしました。
親父さんは、おかみさんと幼い娘を病で亡くしていたので、家族ができたような幸せ
な気持でした。
さて、雪がどっさり積もったある晩のこと、雪窓のおでんを食べに来たのは、赤いか
くまきの若い娘でした。彼女は山向こうの野沢村から来たといいますが、昔、亡く
なった親父さんの娘、美代にそっくりでした。彼女は、また来ると言いましたが、ア
ンゴラの白い手袋を片方、忘れていってしまったのです。
しかし、彼女がなかなか姿を見せないので、親父さんは思いあまって、ある晩、雪の
中、屋台を引いて手袋を届けに行くことにしました。あの娘に会いたいと思ったので
す。暗い山道を登る時、親父さんは昔、冬の晩に高熱を出した六歳の美代をおぶっ
て、走り続けたあの晩のことを思い出しました。しかし夜ふけに野沢村の医者の家に
着いた時、美代はすでに息絶えていました。
今は、屋台を押すのにたぬきが加勢してくれましたが、峠にさしかかった時、森の妖
怪に気をとられた隙に、屋台がごろごろと雪道を転げ落ちて行ってしまったのです。
ふたりは「雪窓」を死にものぐるいで追いかけましたが、見失ってしまいました。
ところが野沢村に着くと、あのかくまきの娘が提灯を灯し「雪窓」を開いて笑顔でお
でんを煮ていたのです。
彼女は、親父さんの届けてくれた手袋をはめると、右手でおでんを取り分け、左手で
お客さんを呼び込み、夜中だというのにお店は大繁盛でした。そして・・。
さて、あのかくまきの娘はいったい誰だったのでしょうか。フィナーレは、是非絵本
でお楽しみください。
安房直子さんの文学世界を訪れると、人生の真実、ものさびしさや悲しみ、孤独感な
どの静かな通奏低音が感じとれると共に、心ぬくもる癒やしが織り込まれていること
に気づきます。そして自分でも意識しないうちに涙が流れ、ほっとしていたりもする
のです。
ファンタジーならではの魅力も尽きません。
「三角のぷるぷるっとしたやつ」を食べにきたたぬきや、峠近くの森で天狗や子鬼と
触れ合う親父さんの内なる子どもの豊かさ、懐の深さ、ユーモアや情け深さが、「雪
窓」のおでんやお客さんとの対話に絶妙な味わいをもたらします。
さらに、大雪の日に、山を越えて「雪窓」におでんを食べに来た、亡娘かもしれない
かくまきの娘との出会い。
手袋を忘れたその娘の片手は、どんなに寒かろうと思いやる親心。
親父さんはかくまきの娘に会いに行く途中、屋台を引いて雪道を登りながら、昔、幼
い娘の息が絶えた山道で、今でも美代の魂が泣いているのではないか、今引き返した
ら取り戻せるかもしれないなどと思いめぐらすのです。
幼子を喪った父親としての痛恨の極み、喪失感が山道でクローズアップされ、それが
物語の進行と共にあたたかさに包まれ、癒やされていきます。
文学の果たす役割の大きさ、深さがしみじみと感じられる絵本ではないでしょうか。