主人公はジョ二ー少年。
彼は幼い頃から手先が器用だったので、暇さえあればのこぎりやかなづちを使って何
か作るのが好きでした。
そして、おばさんから贈られた一番お気に入りの本『大時計のつくりかた』を百回も
読んで、ある日、自分も大きな振り子時計を作ろうと思い立ったのです。
ところが、うれしくなって両親に話すと“何をつまらないこと言ってるの!?それよ
り家の手伝いでもしなさい!”と反対されました。
学校の先生も、皆の前で”おばかさんね、まだ小さいのだから、むずかしいことは無
理よ“と言ったので、クラスの子たちも、ジョニーを苛めたり馬鹿にしたりしまし
た。しかし、ただ一人スザンナだけが、“泣かないで、ジョニー。大時計、絶対にで
きるわよ!”と励ましてくれたのです。
その言葉を聞いたジョニーは、絶対に作ってみせるぞ!と決心しました。
そして、両親から言いつけられた手伝いの合い間をぬって、大時計を着々と作ってい
きました。
しかし、本に出ている歯車や振り子が必要なのに、どうしても手に入りませんでし
た。こうして、次々に艱難が押し寄せ、そのたびにジョニーは落ち込みましたが、ス
ザンナの励ましに救われました。
最後までハラハラドキドキの連続です。
しかし結末の大逆転のおもしろさ!
子どもたちを初め多くのおとなの皆さんも、きっとジョニーに励まされることで
しょう。
本書もそうですが、子どもが夢を実現しようとする時、親が子どもの意志を尊重し、
応援するとは限りません。
なぜなら親の望む道を子どもに歩ませるのが、親自身の夢の実現であることが多く、
子どもの夢に希望を託すことは不安だという思い込みが、あるからではないでしょ
うか。
私事ですが、私の父は大変不安感の強い厳格で気性の激しい人でした。
大学受験予備校の国語の教員でしたが、かつて子ども時代に、算数・数学が大の苦手
だったらしく、是が非でも長女の私には算数を得意にさせたいと切望したようです。
それなら専門家に委ねてくれれば良かったのに、父からの脅しと暴言の理不尽な教育
虐待があったため、私にとって算数・数学は、父親への嫌悪と同様、死にたくなるほ
ど嫌いでした。
自己否定感しかない高校時代、父からの攻撃を防御するために睡眠薬を多量に服用し
て死の淵をさまよい、目標がないまま大学へ逃げ込みました。
冷え切った心に一筋の光を与えてくれたのは、ミッション系幼稚園卒園記念の聖書、
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ
書43章4節)という聖句でした。
やがて、大学三年次に他大学の児童学夏季公開講座を受講した折、絵本のすばらしい
読み解きに出会って、児童学を学びたいという願いが生まれたのです。そして、無謀
にもその学校の大学院への進学を希望しました。
その時には、このジョニー少年のように両親から「できるわけがない!」と猛反対さ
れました。
しかし、父を説得してくださったのが、大学の恩師でした。
先生は、人が裾野を広くして学びたいという夢を持つことは、将来を不安にすること
ではなく、希望をもたらすことだと、ご自身の奥様の実例を挙げて、父を説得してく
ださったのです。そのお陰で、念願の大学院で児童臨床学や児童文化を学ぶチャンス
が与えられ、感謝あるのみでした。
実現したい夢というものがいつ与えられるかはわかりません。しかし、何歳であって
も、その「夢」に出あうこと自体がラッキ―なのでしょう。すぐには達成できなくて
も、夢自身が希望をもたらしてくれるはずです。
そして試練の時には、きっと本書のスザンナのように、天からの助け手やアドバイス
が与えられると思います。
このジョニー少年の絵本を読むと、「夢中になって創作やスポーツや好きなことに
チャレンジし、我を忘れるほどのフロー体験こそ、幸せの鍵になる」といったアメリ
カの心理学者ミハイ・チクセントミハイ氏を思い出します。つまり、好きなことに
チャレンジし没頭できる時間ほど幸せな時はないということでしょう。
しかし、今、特に好きなことがなくても、生かされている今という時の中に、宝は潜
んでいるに違いありません。
本書ではフィナーレで、両親やクラスのいじめっ子が、ジョニーに対して示す感動的
な変化を是非絵本でご覧ください。