ひとり暮らしのレミーおばあさんの家には、水色のすてきなタンスがありました。そ
のタンスの一番下の引き出しからは、ときどき小さなおしゃべりが聞こえてきます。
だれか住んでいるのでしょうか。
そこには、レミーさんお気に入りの空瓶や空缶、花束を結んでいたリボン、元はセー
ターだった毛糸などが入っていました。かつて活躍した小物たちが、次なる出番を
待っていたのです。
さて、ある日、そこに新しく仕舞われたのは、元は宝石のようなチョコレートが入っ
ていた、茶色の小箱でした。それはかわいい箱で、引き出しの他の住人のように、次
なる活躍の場が与えられるのを心待ちにしました。
先輩たちは、春には、空瓶がいちごジャムをたっぷり入れた瓶になり、夏には大きな
ガラス瓶が輝くピクルスの容れものに。
秋には金色のリボンが、レミーさんの友人のレオおじいさんから引き取った子ネコの
首を飾り、冬のマルシェには、どの容れものもつつみもレミーさんのお店でおしゃれ
に使われ、大活躍でした。赤い毛糸はレミーさんが編み直して、友人のすてきな帽子
になったのです。
でも、小箱はいつまで待っても出番が来ないので、「わたしなんて・・」とすっかり
自信を失くしてしまいました。
ところがある日、レオさんがレミーさんの家に立ち寄り、引き出しから掘り出し物と
して茶色の小箱をもらっていきました。
そして春になると、その箱に最高のプレゼントを入れ、花束を携えてレミーさんの家
を訪れたのです。引き出しの住人たちは、皆、ふたりの会話にじっと耳を澄ませまし
た。その後のうれしいフィナーレは是非、絵本を手に取ってごらんください。
レミーさんのタンスの引き出しの中で、出番を待っている住人たちを見ていると、精
神科医としてハンセン病の患者さんに寄り添い続けた故・神谷美恵子さんの「うつわ
の歌」(みすず書房刊『うつわの歌』所収)の詩句を思い出します。
私はうつわよ、
愛をうけるための。
私はただのうつわ、
いつもうけるだけ。
最終部のこの詩句を引用させて頂くだけでは、よくわからないかもしれませんが、神
谷さんは、自分を、神さまから注がれる豊かな愛と恵みを一方的に受けるだけのうつ
わにすぎないと譬えて、20代の時にこの詩を書かれたようです。
ところで『レミーさんのひきだし』では、茶色の小箱は、中身のチョコレートがなく
なった後、もしかすると捨てられたかもしれないのに、レミーさんに愛されタンスの
引き出しに大切に仕舞われます。
でも、空箱はレミーさんの愛を受けていることには、気づかなかったのでしょう。
なかなか出番が来ないので、他のうつわたちと自分を比較してうらやんだり、不安に
陥ったりしてしまいます。
でも、そんなある日、思いがけないチャンスに恵まれ、最高の役割が与えられたので
す。その使命は、小箱にぴったりでした。
このように中身が
自分の出番を待っているのかもしれません。本書は、そのようなモノの視点から、人
の心や人生について想いめぐらせる、味わい深いストーリィの絵本です。
それは、ものも命を持っていると感じる子どもたちのアニミズムの、理にも適っていま
すし、年齢を超えて、読者の皆さんの心を生き生きと弾ませてくれるでしょう。
ものを大切にする人たち、そして人と人との出会いも大切にされるストーリィに、心
が潤い、あたためられるのではないでしょうか。